非寛解から始める骨髄移植(20代)

奮闘記になるかダラダラになるか未知数です

番外編 白血病を申告された当時(T病院通院編)

20代、実家暮らし。親子仲は良好…。

何気ない職場の健康診断だった。

血液データの白血球を除けば。

ネットで調べてみると白血球の数値の基準が確かにやばい。

白血病かもしれん…」と不安を口にする。いつだって心配性、それが自分。

母は何の間違いでしょ~?といった感じで…いつも通りの会話だった。

丁度休みが重なった父と山形の温泉に旅行に行く計画があったが、自分の代わりに母に行ってもらい、早々に病院で健康診断で引っかかった血液検査をしてもらいに行った。

採血苦手なんだよな~と、今後日常的にすることになる採血に対して苦慮。

採血が終了して待合室で待っていると、また採血に呼ばれる。

「すいません、追加で6本採ることになりまして…」

なにかがおかしい気がする。

そして呼ばれる。

テーブルの上に冊子が何冊か置いてある。明らかにいつもとは違う。

白血病のだと思われますが、断定はできません。来週、骨髄穿刺(マルク検査)というものを行い、骨髄の中を詳しく検査させてください。」

もうね、理解できなかった。なんか今は薬で寛解を維持できる人もいるとか、治らない病気ではないとか、いろいろ言っていたが、とりあえず聞いたことは、

「マルクって痛いんですか?」

「麻酔をするので、麻酔が効いてくれば痛くないですよ。」

                                  嘘だった。

会計待ちの間にLINEで母に診断された内容を報告した。旅行から帰ってきてからにするべきか悩んだが、気持ちが抑えられなかった。

会計番号が二時間近く待っても出てこないので、おかしいと思って受付に聞くと、もうとっくのとうに番号でていたっていう。あまりにも動揺しすぎて診察番号と会計番号を空見していたのである。

この日は何も考えられなかったなぁ~。本当に何も。

というわけでマルク検査な訳ですよ。ネットの情報には激痛とも、言うほどは痛くないとか何とも言えないものしかない。

いざ、治療室?みたいな診察室を少し改造したみたいな部屋に呼ばれて、担当の先生の周りに3~4人くらい見学してる人がいるわけですよ。この時点で不安。

詳細は書きませんが、多分担当の先生はマルクの経験はそんなになかったんだと思います。今思うとめちゃくちゃ時間かかっていた。一番痛かったし。

マルク検査の痛みは三段階。

  1. 麻酔を最初に皮膚に打つ時
  2. 骨に麻酔を打つ時
  3. 骨髄から髄液を抜き取るとき ←一番痛い

まぁ、普通に痛いんです。ただ叫ぶほどではないですが。普通に「うっ」「いつつ」っ

て声が出る感じ。

さて、マルク検査の結果、慢性骨髄性白血病で病状が確定。

飲み薬の説明をされるがどれも副作用を考慮すると迷った。

迷って選んだのが第二世代のタシグナである。

飲み始めて別段の体調的な副作用は出なかったのだが、問題が発生した。

血小板がとてつもなく低くなってしまったのだ。今でこそ血小板2.0前後が普通の身になってしまった自分ではあるが、当時の先生からこの数値だと脳出血の危険性が出てくると聞いて毎日ヒヤヒヤ。

血小板輸血をして様子を見ましょうという話に。最初、輸血液の色に驚いたのを憶えている。血液を輸血するのだから当然赤色だと思っていたのに黄色だったから。

通院2~3日に一回輸血をするサイクルを繰り返す内に先生が輸血したにしては血小板が上がっていないという話を出してきた。そこでステロイド30mg(内服)を使って様子を見ることに。母の話によると当時からステロイドを使うと不眠になっていたらしい。記憶にない、余裕がなかったのだろう。

ちなみにステロイドは点滴よりも経口摂取の方が効果が強くでるらしい。なぜだ。

ステロイドを飲みながらタシグナを飲む日々を続けて2週間ほどか、先生が大学病院への紹介状を書いてくれることになった。もっと専門的に診てもらえるからと。

二回目のマルク検査をなんとか乗り越えてK病院に通うことに。

T病院は自宅から自転車で10分ほどだったが、K病院は電車で30分ほど。

しかし、知ることになる。通院にかかる時間など何の意味もないことを。

                                K病院編へ続く