番外編その2
白血病を診断された病院からの紹介状で通院することになったJ大学病院。
この大学病院には一年以上通院したけど凄かった。結論から言って、
待ち時間がやばい。
10時の予約なので9時半あたりに着くように家を出るのだが、10時について、
採血が一時間近く待つ。
採血の結果が出るまでの時間じゃないよ?採血を『して貰う』までの時間だよ。
この病院には院内にドトールが入っていて毎回利用していた。
いつもホットドックとコーヒー一杯飲んでいたなぁ。年間だと凄い金額になっていたはずである。ドトールのホットドックお勧めです。週2で食べても食べ飽きなかった。
採血の時間のアナウンスとかは無いので番号が近づいてきたな~と思ったら自分で採血室の前で待機してないといけない。呼び出しとかないから、番号が過ぎてしまったら申告するしかない。ただ、過ぎてしまってもすぐに採血してくれるからそこは良心的。
採血が終わったら、血液内科の受付に行くんだけど…先生の所だけ
「混雑中」
っていう表示されているんだよね。毎回。
受付で間もなくコールっていう診察時間が近づいてきたら教えてくれるサービスの登録ができる。これに登録してしまえば院外に出ても診察時間が近づいてきたら分かるって寸法よ。初回は待合室でじっと待ってたんだけど失敗だったね。
6~7時間くらいは平気で待たされるなんて知らなかったからね!!!!!!!
最初に思い出すのは問診票を書いてた時のことを思い出す。
【余命宣告を受けたいですか】
自分がこんなの質問にはい、いいえで答えないといけないような状態に置かれているという理不尽感。誰だって余命宣告なんて受けたいわけないじゃん~。でも、余命が迫っているなら知るしかないよねってこと。
新しい先生の元での治療方針は、
という流れで治療することになった。
一ヵ月くらいかな休薬して血小板がある程度回復してきてから、グリベックの服用を始めた。
ただ薬を飲み始めたら血小板が低い状態になってしまって…休薬するのも限界があったので、週一で通院治療。
そう、つまり
毎週一回8時に家を出て、19時に家に帰る
という地獄の通院が始まった。
仕事かよと、何度思ったことか…。
院外にでて、駅の方に歩いていくとイオンやアトレがあって、毎回お昼ご飯を食べに行ってたなぁ。最後の方になるともう通ったことのない店の方がなさ過ぎて、食べたいものが無くなってた。父と一度行ったときは焼肉屋さんいったな~懐かしい。
病院の思い出よりも病院外の思い出の方が多いですね、待ち時間が長すぎて…。
大体、病院から診察の時間が近づいてきたことの連絡が携帯に入るのが3時頃。
掲示板に表示される人数は診察中の番号も含めて4個。
電話が鳴って、駅から病院に帰って掲示板に番号が乗っていればいい方で、
ここから2~3時間待つこともざらにある。
間もなくとは…何度も思った。待合室でイライラすることも多々あった。
というよりイライラしてる人が割といたイメージ。まぁ、あれだけ待たされれば仕方ないところもある気がする。
ここからはあまり思い出したくない思い出。
グリベックだと効きが弱いということでスプリセルの服用を始めた。
が、飲み始めてから数日たって家で39~40度の高熱が出て急遽病院へ。CT取ったりして心臓に少し水が溜まってるけど問題ないとのことで薬をボシュリフに変更。
ただ薬の効き目がいまいちで、少しずつ病状が悪化していく…。ここでマルク検査をして骨髄の中身を確認することになった。この時点でT315I変異の説明を受ける。
骨髄検査の結果T315I変異が確認…第一、第二世代の薬が効かないという事に…。
第三世代のアイクルシグに掛けて飲み始める。先生からは三割ほどの確率で押しも戻せるっていわれたかな。
週二回、低い血小板と薬の効果に期待しながらの通院。
でも病状は良くならなかった。じわじわと進行してこのままだと移行期になってしまうかもしれないといわれ、そうなる前に骨髄移植をするためのドナーを探しましょうという話が出る。
辛かった。骨髄移植という単語。なぜ自分が聞かなければならないのか。言葉が出なかった。ただ説明を聞くことしかできなかった。今入院している病院への紹介状を貰ってから一週間くらい通院したかな。
確かこの話が出たのが2022年の3月中旬。
ドナー登録…その他もろもろで移植は7月とかもっと遠い話だと思っていた。
現病院の血液内科医の判断だと移植を急ぐという話で、移植の話が出てから抗がん剤治療まで一ヵ月もなかったことになる。
入院前の準備の為に買い物をしている時に母と喧嘩をした。骨髄移植や入院に対する不安が抱えきれず、強く当たってしまった。
諸々あったが今に至る…ということです。
正直、移植の話が出てから移植までの速度が早すぎて気持ちが追い付いていなかった所が多かった。気持ちが追い付いてくると今度は泣くことが多くなった。入院一ヵ月前後は治療が上手くいってなかったこともあり、感情がよく揺れていた。